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心が限界だった。

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2026/6/25 [Thu] 13:39 UPDATE

ダンスアライブファイナルは、両国国技館で開催される動員12,000人規模の国内最大級のダンスイベントです。

お笑い好きな方なら、M-1グランプリの決勝を想像してもらえると近いかもしれません。

ファイナリストになれば、ブレイキン界隈だけでなく、ストリートダンスシーン全体に名前を知ってもらえるようになります。

人生で初めて母を招待し、有名ダンサーやスーパーキッズたちも集まる大舞台。

終始緊張しっぱなしでした。

結果はベスト4。

嬉しさもありましたが、どこかモヤモヤしたまま大会は終わりました。

「さあ、ここから新しい人生の始まりだ」

そう思っていました。

実はその頃、就職活動も並行して行っていて、3月から保育施設への就職が決まっていました。

研修初日。

「うちは残業代ないからよろしくね」

「みんなこれでやってるから」

「来週は7時から19時までよろしくー」

「あっ、はい……」

えっ?

これが普通なの?

就職ってこういうものなの?

唯一優しそうだった先輩にはこう言われました。

「ここの人みんな癖あるから頑張ってね!」

「俺も2年で10キロ以上痩せたよ」

「4月からやっと異動できるんだ」

って、おい。

あんたまでいなくなったらどうなるんだよ。

その他にも、納得できないことや疑問に思うことがたくさんありました。

とにかくブラックとハラスメントの山盛りです。

お伝えできる範囲ですが、、、

出勤の打刻を忘れたら給与は出ない。

書類の確認をお願いしても、なかなか見てもらえない。

「へーダンスやっているんだなんか踊ってよ」

「26歳まで就職したことないんですね?」

そんな言葉も刺さりました。

気づけば日曜日になると自然と涙が出るようになり、身体が動かなくなっていました。

でも、その時はこう思っていました。

「勉強からも逃げてきた」

「好きなダンスばかりやってきた」

「これはその罰なんだろうな」

だけど、ふと思いました。

「あれ?」

「このまえ俺、両国の舞台に立ってたよな?」

「今の俺は何なんだろう」

日曜日だけだった涙は、毎日のようにこぼれるようになっていました。

そんな時、また私を救ってくれたのはダンスでした。

アライブファイナルに出場したことで、M-1ファイナリストが大会後に様々な番組へ出演するように、審査員やワークショップなど、少しずつ仕事の依頼をいただけるようになりました。

そんな中、ワークショップに参加してくれた近所の高校生4人から、

「定期的にレッスンをしてほしい」

と声をかけてもらいました。

こうしてレッスンが始まります。

これが、アビリティの始まりでした。

ダンスの仕事をするたびに、少しずつ心が回復していきました。

「ありがとう」

「つよし先生みたいになりたい」

そんな言葉をもらうたびに、自分が必要とされていると感じられました。

この仕事しかない。

これからどうなるかはわからない。

でも、全力でやれば何とかなるかもしれない。

金銭的には本当にギリギリでした。

それでも私は仕事を辞め、ダンス一本で生きていくことを決めました。

ただ、あの経験がなかったら私はダンスの先生になっていなかったかもしれません。

仮になっていたとしても、覚悟が足りず途中で辞めていたかもしれません。

当時はただただ苦しく、なぜ自分だけがこんな思いをしなければいけないのかと思っていました。

ですが今振り返ると、あの辛さはこれから先の人生に必要な壁だったように感じます。

「あの頃の辛さを味わうくらいなら、もっと頑張れる」

そう思える自分がいます。

あの経験があったからこそ、ダンスで生きていく覚悟が決まりました。

そして、自分を必要としてくれる人たちのために全力を尽くそうと思えるようになったのです。

アビリティの始まりは、決して順風満帆なものではありませんでした。

むしろ不安と葛藤の連続でした。

それでもあの時、自分の気持ちに正直になって一歩踏み出したことが、今につながっています。

人生は何が正解だったのか後にならないとわかりません。

ですが一つだけ言えるのは、あの時涙を流しながらも諦めなかった自分が、今のアビリティをつくってくれたということです。

 

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