
世代や時代、そして自分が見てきたものによって、ダンススタイルは大きく変わるのではないかと思います。
私はいわゆる氷河期世代です。
子どもの頃から、いじめやリストラ、自殺といった暗いニュースが多かった印象があります。少年Aの事件やオウム真理教の事件など、社会に大きな衝撃を与える出来事もありました。
今振り返ると、決して明るい未来ばかりを想像できる時代ではなかったように思います。
そんな時代を生きてきた自分が、若い頃によく悲観的にならず、ダンスを続けてこられたなと、ふと思うことがあります。
当時のエンターテインメントを振り返ると、『カイジ』のような生き残りをかけたデスゲームや、『HUNTER×HUNTER』のように、知恵や戦略、発想力を駆使して困難を乗り越えていく作品が印象に残っています。
ただ強いだけでは勝てない。
正攻法だけでは生き残れない。
限られた条件の中で、どうすれば相手を出し抜けるのか。
そうした世界観に、当時の自分たちの感覚と重なるものがあったのかもしれません。
それは、ダンスの大会でも同じでした。
特に予選では、技術が高いだけでは勝ち上がれないことがあります。限られた時間の中で、どうすれば審査員や観客の印象に残れるのか。
そこで必要になるのが、アイディアです。
周りと同じことをするのではなく、あえて違うことをする。自分なりの解釈を加えたり、少し変わった動きや意外性のある展開を取り入れたりする。
いわゆる亜流ともいえる表現を使いながら、自分の存在を印象づけ、予選を勝ち上がっていく。
もちろん、ただ人と違うことをすればいいわけではありません。違いを生み出すための発想力や、それを成立させる技術が必要です。
でも、当時の自分にとっては、そうやってアイディアを振り絞り、自分なりの答えを見つけていくことが、生き残るためのひとつの方法だったのだと思います。
そして、こうした経験は、今の自分のダンススタイルにもつながっているように感じます。
周りの人たちがこう動くなら、自分はこう動く。
みんなが同じ方向を向いているなら、別の方向から考えてみる。
当たり前とされていることに対しても、本当にそれしか方法はないのかと考えてみる。
そうやって周囲を観察し、違いを見つけ、自分なりの表現をつくっていく。
ダンススタイルは、単純に流行している技や音楽だけで決まるものではないと思います。
どんな時代を生きてきたのか。
何を見て、何に影響を受けてきたのか。
どんな環境で、何を考えながら踊ってきたのか。
そうした経験の積み重ねが、身体の使い方や技の選び方、音楽の捉え方、そして踊りの発想にまで表れてくるのではないでしょうか。
同じ音楽を聴き、同じ技を練習していても、人によって踊り方が違うのは、身体能力や技術だけの問題ではないのかもしれません。
その人が見てきた世界そのものが、ダンスに表れている。
だからこそ、ダンスには正解がひとつではない面白さがあるのだと思います。